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2008-10

第二次反抗期とは(1)

「第二次反抗期」で検索して前回の拙文「第二次反抗期が無くなった?」にたどり着いた方もいたようですが、おそらくあれでは肝腎の「第二次反抗期」について、何が何だかワケが分からなかったのではないでしょうか。

というわけで、今回は「第二次反抗期とは何か」というテーマで書いてみます。

「第二次反抗期」を荒っぽく定義すれば、「子供の世界から大人の世界に移るための、個人による通過儀礼」となるかと思います。「通過儀礼」という言葉もかなり適当に使われていますが、ここでは文化人類学の定義にそうものと考えてください。

伝統的社会では、人生の節目(成人、結婚、死など)において次の段階に移項させるシステムとして一定の「通過儀礼」がありました。成人する際の initiation ceremony(加入儀礼)としては、日本の元服・裳着、フィジー諸島の高所からのジャンプ(身体に木のツルを巻きつける)などがその一例で、これによって人は今までの社会を離れて新しい存在意義を獲得したことを自覚し、周囲もそれを認識することができました。

それまでのアイデンティティーを捨てて、新しいアイデンティティーを得ようというのですから、それ相応の象徴的儀式が必要になります。よく知られている言葉に「死と再生の儀式」というのがありますが、initiation ceremony の際には、何らかの形で象徴的に「死」を通過し、「再生」にいたるという例がしばしば見られます。

伝統的社会においては、人はピラミッド的社会の決まった役目を担う存在であり、だからその社会で定められた「通過儀礼」をくぐることで、安定した存在意義を獲得することができました。良し悪しは別にして、「個人」というものが無いわけです。

しかし西欧型近代社会は自由な「個人」による社会であり、古来の伝統的な儀式というだけでは意味を持ちにくくなりました。たとえば成人式が本来の「通過儀礼」としての意義を失って形骸化した理由もここにあります。

それでも欧米には(これまた良し悪しは別にして)キリスト教、韓国なら(前に同じ)儒教というよりどころがありますが、日本では宗教的基盤が弱くなり、さりとて自立した個人にはほど遠いメダカ集団の状態(ネットの掲示板をあちこち読めば痛感します)であるため、問題はよりシビアと言えるかもしれません。つまり先に述べた「通過儀礼」を、それぞれの家庭が、それぞれの形でおこなわなければならず、それが「第二次反抗期」なのです。

それなら社会に「通過儀礼」の復活をとか、甘えがあるからいけないとか、脊髄のみで考えたような反射的思考ではとうてい解決できないところに、この問題の難しさがあります。
(続く)

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